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ニッポン人は数字を信じ過ぎるというお話

中国餃子問題もこれで解決?
 現代人は数字に必要以上に弱くなり、数字に支配されている感があります。昨年、日本中で大きな話題になった賞味期限もそうです。賞味期限の数字が1日でも過ぎていたら、「もう食べられないと」捨ててしまいます。その物の実態よりも、数字を信じるからです。というより、数字以外の判断能力がなくなってきたということなのかもしれません。
 昔は食品に数字はついていませんでした。だから、食べるか捨てるかは自分で判断するほかありません。
 一方で、「日本の消費者は世界一厳しい目利きである」などともいわれます。がそれは、安かろう悪かろうではなく、高くてもいいものを食べたい、食べさせたいという健康志向が強いからで、特に優秀な判断能力を持っているわけではないと思えます。
 数字のほかにもブランドに頼ります。肉や魚などの食品にしても、自分の目と舌で判断するより、まずブランドに頼ってしまいます。だから、ブランドさえ張りつけば、というところから偽装が生まれやすくなる。もちろん偽装は悪いことですが、贋物をつかまされるのは、ブランド信仰と自分にそれを判断する能力に欠けているからだと思えば、物の見方も変わってくるように思われます。

 冷凍食品や食品の輸入で、日本人の食生活の環境が大きく変わってきました。いまはとにかく何ごともコンピュータ管理で、食品には数字やバーコードがついて、判断を科学的技術に委ねるようになってきました。コンピュータが判断する分だけ人間は楽になったでしょう。でも、そうやって外の力だけに依存してしまうと、自分の目や舌や臭いで判断できなくなってしまします。
 ブランドを否定するわけではありませんが、自分で選定できる確かな目を持っていれば、なにもブランドに頼って高い買い物をする必要もなくなります。私たちは、もう少し自分の意志を大切にし、判断する能力を高め、自分なりの判断基準を持つことが望ましいと思われます。
そうはいっても、神戸牛や石垣牛(マニアックだな)、前沢牛などは素直にウマイ。

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